9月7日から8日間、沖縄へ行ってきた。
前半は母親ご接待旅行、後半は「うるま市エイサーまつり」へ。
私がエイサーを初めて見たのは、
1990年、嘉手納基地を人の手の鎖で囲むというアクションに参加したとき。
うら若き乙女の私は、そのかっこよさにチムワサワサーしたわけさ。
あ、ちなみにワタクシ年端もゆかぬ頃よりの、
筋金入り「なんちゃって左翼」なもんで、
だまされて連れていかれたわけでもなけりゃ、
お金もらってバイトで動員されたわけでもないので、
そういった方向でいちゃもん付けたい方がもしいらしたら、
恐縮ですがお引き取りくださいませね。
で、「いつかエイサーを見に行きたい」と思いつつ、
行きたいところがいっぱいあって、ハワイだタイだバリだなんだかんだと幾年月。
那覇で「1万人のエイサー踊り隊」というお祭りが開催されているのを知り、
満を持して(?)2003年8月に沖縄へ。
国際通りを封鎖して繰り広げられる演舞の数々。
歩道に座り込んで、「今日は暑いね~」と言いつつ盛り上がる人々。
うん、楽しい。
楽しいんだけど、「・・・あれ?エイサーってこんなんなんだー・・・」と、
見れば見るほど違和感が湧いてきて。
祭りも終盤、パレットくもじ(だったと思う)前の固定会場へ移動すると、
今まで見てたのと明らかに違うエイサーが。
ああ、こういうのが見たかったんだよー。
そして、もう1つ。
小さな太鼓で、黒装束で、これもエイサーなの?
でも、妙に心惹かれる。
そして、唄う人の声がいい!
またいつか、エイサー見に来よう。
次はこのお祭りじゃなく、今見たようなやつだけで。
と、思って帰り、また幾年月。
その年月の間に、少しは私も勉強した。
エイサーは、本来お盆(旧盆)の行事として、
それぞれの地域で受け継がれていること。
地域によって、いろいろなエイサーがあること。
それとは別に、近年、パフォーマンスとしての創作エイサーが流行っていること。
私が違和感を感じたのは、その創作エイサーだったこと。
お盆の務めを終えた青年会たちが、その演舞を披露する祭りが、
沖縄市で行われていること。
「1万人のエイサー踊り隊」から9年後、
2012年9月、「沖縄全島エイサーまつり」を見に沖縄市へ。
前夜祭で、いきなり、山里青年会の演舞に魂持っていかれた。
「こういうのが見たかったんだよー」のテンコ盛り。
うれしい!たのしい!大好き♪(byドリカム)
「来年もまた来よう」と思いつつ帰った。
だけど、
「小さな太鼓(パーランクー)で黒装束」の平敷屋青年会も参加していたのに、
スタンド席で見てたので、遠くて太鼓の音も聞こえず、
ちょっとだけ消化不良みたいな感じが残った。
2003年に那覇で見た、「小さな太鼓で黒装束」の人たちは、
平敷屋青年会だったのかなあ?
でも、うるま市の旧与那城町とか旧勝連町には、
いくつかそういう青年会があるみたい。
いろいろネットで調べて動画見て、
今度は平安名青年会と、野の花保育園に魂持っていかれた。
そうか。次は「うるま市エイサーまつり」だ。
ということで、このたび2015年9月、
「うるま市エイサーまつり」に行ってまいりました。
そして、この記事書くために、
12年前の「1万人のエイサー踊り隊」の写真を探してて気づいたこと。
「妙に心惹かれる」と感じた「小さな太鼓で黒装束」の人たちは、
「ああ、こういうのが見たかったんだよー」のエイサーは、
現うるま市(当時具志川市)天願区青年会。
あの時、違和感を感じたまま帰ろうとしていた私を、
チムワサワサーさせてくれたのは、
どっちも、今のうるま市の青年会だったんだ。
彼らの演舞を見なかったら、私の「エイサー見たい」って気持ちは、
2003年で終わってたはず。
大げさかもしれないけど、何かつながるものがあって、
行くべくして行った「うるま市エイサーまつり」だったんだなあ。
と、家ビールしつつ、長い長い前書き(または25年にわたる大河記)を書いてみた。
本文旅行記があるのかどうかは、
神の味噌汁(by宮田珠己)
>> 2015.9沖縄の旅の目次へ
前半は母親ご接待旅行、後半は「うるま市エイサーまつり」へ。
私がエイサーを初めて見たのは、
1990年、嘉手納基地を人の手の鎖で囲むというアクションに参加したとき。
うら若き乙女の私は、そのかっこよさにチムワサワサーしたわけさ。
あ、ちなみにワタクシ年端もゆかぬ頃よりの、
筋金入り「なんちゃって左翼」なもんで、
だまされて連れていかれたわけでもなけりゃ、
お金もらってバイトで動員されたわけでもないので、
そういった方向でいちゃもん付けたい方がもしいらしたら、
恐縮ですがお引き取りくださいませね。
で、「いつかエイサーを見に行きたい」と思いつつ、
行きたいところがいっぱいあって、ハワイだタイだバリだなんだかんだと幾年月。
那覇で「1万人のエイサー踊り隊」というお祭りが開催されているのを知り、
満を持して(?)2003年8月に沖縄へ。
国際通りを封鎖して繰り広げられる演舞の数々。
歩道に座り込んで、「今日は暑いね~」と言いつつ盛り上がる人々。
うん、楽しい。
楽しいんだけど、「・・・あれ?エイサーってこんなんなんだー・・・」と、
見れば見るほど違和感が湧いてきて。
祭りも終盤、パレットくもじ(だったと思う)前の固定会場へ移動すると、
今まで見てたのと明らかに違うエイサーが。
ああ、こういうのが見たかったんだよー。
そして、もう1つ。
小さな太鼓で、黒装束で、これもエイサーなの?
でも、妙に心惹かれる。
そして、唄う人の声がいい!
またいつか、エイサー見に来よう。
次はこのお祭りじゃなく、今見たようなやつだけで。
と、思って帰り、また幾年月。
その年月の間に、少しは私も勉強した。
エイサーは、本来お盆(旧盆)の行事として、
それぞれの地域で受け継がれていること。
地域によって、いろいろなエイサーがあること。
それとは別に、近年、パフォーマンスとしての創作エイサーが流行っていること。
私が違和感を感じたのは、その創作エイサーだったこと。
お盆の務めを終えた青年会たちが、その演舞を披露する祭りが、
沖縄市で行われていること。
「1万人のエイサー踊り隊」から9年後、
2012年9月、「沖縄全島エイサーまつり」を見に沖縄市へ。
前夜祭で、いきなり、山里青年会の演舞に魂持っていかれた。
うれしい!たのしい!大好き♪(byドリカム)
「来年もまた来よう」と思いつつ帰った。
だけど、
「小さな太鼓(パーランクー)で黒装束」の平敷屋青年会も参加していたのに、
スタンド席で見てたので、遠くて太鼓の音も聞こえず、
ちょっとだけ消化不良みたいな感じが残った。
2003年に那覇で見た、「小さな太鼓で黒装束」の人たちは、
平敷屋青年会だったのかなあ?
でも、うるま市の旧与那城町とか旧勝連町には、
いくつかそういう青年会があるみたい。
いろいろネットで調べて動画見て、
今度は平安名青年会と、野の花保育園に魂持っていかれた。
そうか。次は「うるま市エイサーまつり」だ。
ということで、このたび2015年9月、
「うるま市エイサーまつり」に行ってまいりました。
そして、この記事書くために、
12年前の「1万人のエイサー踊り隊」の写真を探してて気づいたこと。
「妙に心惹かれる」と感じた「小さな太鼓で黒装束」の人たちは、
現うるま市(当時与那城町)与那城青年会。
「ああ、こういうのが見たかったんだよー」のエイサーは、
あの時、違和感を感じたまま帰ろうとしていた私を、
チムワサワサーさせてくれたのは、
どっちも、今のうるま市の青年会だったんだ。
彼らの演舞を見なかったら、私の「エイサー見たい」って気持ちは、
2003年で終わってたはず。
大げさかもしれないけど、何かつながるものがあって、
行くべくして行った「うるま市エイサーまつり」だったんだなあ。
本文旅行記があるのかどうかは、
神の味噌汁(by宮田珠己)
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